未来は結果の捉え方の上に続いていく


中学受験シーズンが、幕を閉じようとしています。

この時季、街で入試に向かおうとする親子、合格発表の帰り道と思われる親子を見かけると、自分自身が受験生の親であった頃の思い出が蘇り、何年経っても心が熱くなるものです。

試験を受けるのは子ども、ということはわかっているけれど、中学受験に対する親の想いは

「人生をかけている」

と言っても過言ではないくらいに大きいもの。

ですから、希望が叶わないとわかったときには、無我夢中で作り上げてきた山が一瞬にして崩れてしまったような感覚に陥ってしまうのも当然と言えます。

私たち親子の場合、すべてが希望通りにいったわけではありませんでした。

第一希望に合格できなかったとわかったときには、無我夢中で作り上げてきた山が、一瞬にして崩れてしまったような感覚も覚えました。

しかし、誰よりも努力をし、誰よりも犠牲を払って受験に備え続けてきたのは、親ではなく子どもです。

親が子ども以上に悲しみにくれてしまうのは、できる限り避けるべきだと考えます。

子どもは子どもなりに、自分自身に挫折を感じるもの。
そこに親のぶんの悲しみまで乗っかってしまったら……潰れてしまう子も、出てくるのではないでしょうか。

もちろん、結果がいいに越したことはありませんが、全員の希望が叶う受験など、この世にありません。
ですから、大切なのは望まない結果が出てしまったとき、それをどのように捉えるか、ということなのです。

わが子の未来は、この時の捉え方の上にこそ構築されていく、と考えてみてはいかがでしょうか。

子を差し置いて親が率先して落ち込んでいる場合じゃない!

という気持ちに、なってはきませんか?

受験のみならず、子どもの挫折を支えられるのは、親だけなのですから。