かつて、まだ子どもが小さかったころ、
家族と共に、アメリカに住んでいたことがあります。

日本人が少ないエリアだったこともあり、
必要最低限、生活に必要な英語力は
居ながらにして、身につけていくことができました。

しかし、途中で苦しい時期を迎えます。

当時のママ友を相手に、
お天気のこと、趣味のこと等、
ある一定程度の会話はスムースにできるようになったのですが、
話が盛り上がってくると…、
突然、何も話せなくなってしまうのです。

さっきまで、楽しく会話ができていたのに
「突然」話せなくなってしまうのです。

原因は、私の知識のなさ、でした。

数は少なくとも、知っている単語をつなげていけば
ある程度の会話は成り立ちます。
しかし、その先の深い会話になると、
知識がなければ、続けることが出来ません。

日常生活にある「うちの子論」を超えたところで、
アメリカ人の母親たちがおしゃべりしている内容に対して、
私は全く知識がなく…、

知識がなければ、内容理解も出来ず、意見もなく、
そういう状況では、質問すらできず、
つまり、「何がわからないのか」が、わからず…、
突然、黙るしかなかったわけです。

いかに、知識が重要であるかを思い知らされました。

話を日本に戻します。

急速に、教育改革が進み、
子どもたちの学びにも、新しい考え方や用語がたくさん出てきました。

教育関係で仕事をしていれば、話題になることも多いため、
次々と、新しい考え方や用語を自分のものにしていくことができますが、
一般の保護者の方々は、「新しい教育」に対する知識を
それほどまだ、お持ちではないようです。

日々の子育て、つまり
「うちの子論」を焦点化している以上、
この先の教育がどうなっていくか…などは、
興味はあっても、まだ他人事なのかもしれません。

そういう保護者の方に対して、
先生方の興味関心や、持っていらっしゃる知識を
ストレートにぶつけてしまうと、
保護者の方々は、知識不足により
黙ってしまうかもしれません。

かつての、私がそうであったように…、

内容理解も出来ず、意見もなく、質問すらできず、
つまり、「何がわからないのか」が、わからず…、
の状態になってしまうということです。

それでは、自己肯定感が下がってしまい、
先生に対する不信感にも繋がりかねません。

この先の教育について
保護者の方々と意識共有をすることは最重要であります。

しかし、同じ言語でいきなり対話ができるかというと、
そこには難しさもあるように感じます。

コミュニケーションは、相手の理解を確かめながら、が基本です。

伝えたいことは、保護者がわかる言葉に翻訳する…。
せっかくの面談時間を無駄にしないためにも、
意識をしてみてはいかがでしょうか。